go to home page

2011年11月3日木曜日

苦難福門 自分を生きる

 今回は茅ヶ崎市と平塚市の合同イブニングセミナーということで水曜日の夕方6時から行われた。講師は茅ヶ崎市在住の福井砂夕里(さゆり)氏。講演を聞き終わって、大森会長が合同で企画された意味合いが素直に納得できた。それほど価値のある内容のあるお話で、何度も目頭が熱くなった。京都のお生まれらしく、京都の女性の強さとプライドがお話の背後に感じられて、今更ながら京女の強さ、凄さ、そしてその向こうにある(生まれてきたからには)人間としてのミッション(使命)とは何かを思い知らされた90分でした。
 キャリアはJALの国際線のCAを8年間され、子育てで退職、教師と云う過酷な職場で仕事一筋に打ち込み、すべてを犠牲にしてきた最中、悪性の腫瘍ががんになり、度重なる手術後に左腕切断と云う女性としてこれ以上ない不幸に見舞われた。その間の様々な葛藤が語られましたが、その間で、一番得たもので大きかったのが「人の絆」とお話になった。第一に「家族の絆」、次に「友人との絆」、そして「医師や看護婦・看護士との絆」さらには「教師と生徒の絆」等々。
 左腕の切断を最後に決断されたのは天窓を流れた星(22歳の時に母親を亡くした)として現れた母親が背中を押してくれた。自分のつらさは自分しか判らない、他人が肩代わりしてくれるわけではない。自分がすべて受け入れていかねばならないことなのだ。もしかして死ぬのではないかと想ったとき、人にとって人生にとって、人と人との絆というものをどこまで深めていけるか、人間関係を築いて行けるかが一番大切なことではないかと気付いたと述べられた。
 手術室の前で看護婦さんに「いいご家族ですね」と声を掛けられて、自分は子供たちや夫や父親や自分のことを心配してくれる人のためにも生きなくてはならないと思い、平常心で手術台にのぼることが出来たと述懐された。主治医と患者、看護婦・看護士と患者の信頼関係が築けたのもこの手術台に昇る直前だったということで、主治医が「体だけでなく心も診てくれた」という一節は奥深い真理を現した言葉として特に印象強かった。
 人間はプラスの力もマイナスの力も人に及ぼす存在であることは言うまでもないが、不治の病で平常心でない人たちの世界でこれが出てくるとどうなるのか、そこには普通の人では対応できない世界があるような気がする。そういう時こそ、ご自分の経験が人の役に立つということで、進んでその輪の中に入って活動されているということだ。
 手術後、なくなったはずの左腕が痛む「幻肢痛」という症状に悩まされた術後生活。その中で知った「看護士の患者の痛みを判ろうという心が患者の痛みを癒す」という言葉の重み。「人間が出すやさしさには強いやさしさもあるが弱いやさしさもある」など、正にその通りだろう。人間なのだから。
 今、病が癒えて退院後、これからの自分の生き方を問う長い時間が必要でした。その為には先ず、「できることをやる」で社会復帰を心がけられたそうだ。先ず、女性だからおしゃれをしようと先ずピアスの穴を開けに行きましたというくだりは思わず微笑んでしまった。読書、美術館巡り、映画館、子供のサッカーの試合見物、おしゃれ等々、失ったものを取り返す行動は自分自身に元気を与えてくれたと仰る。長期間の入院で立つこともできなかった体力も徐々に回復して、人の前にこうやって立てることは「幸せの証拠です」と仰る。
 自分の退院後、病院入院中の親友二人が相次いで他界したが、その代わりに自分が命を貰ったと思い、それを契機に自分のミッション探しを始め、今三つの仕事をやっておられるそうだ。

   1.北里病院での講演活動他
   2.NPO法人多文化共生教育ネットワーク コーディネーター
   3.公立中学校非常勤教諭

 がんには三つの要因があるそうで、
   1.食事
   2.運動
   3.人間関係・心の持ち方(ストレスの原因)
この中で3番目が一番重要な要因なのではないかと自分は体験上、そう感じると云われた。NOが云えない(旅客機のCA)自分、自分を大切にしなかった自分から正直な自分、人に甘えることを良しとする自分に変え、人間関係は自分がお付き合いできる人とお付き合いをするということにしておられるとのこと。気功を覚え、薬に頼らず熟睡でき、保温に努め体を冷やさないようにしているとアドバイスをされました。最後に、相田みつおの詩「雨の日は雨の中を、風の日は風の中を」を読まれて講演を終わられました。本当に生きてきた、生き抜いた人の想いの凄さに会場は万雷の拍手とため息でした。
   

0 件のコメント:

コメントを投稿