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2014年2月26日水曜日

先祖の思ひを大切に ~下寺尾官衙遺跡~ 講師:山田 悦子 オフィースアメニティー 代表取締役


 今朝の講師は12月に予定していたが、体調不良で順延になっておりました当会会員で茅ヶ崎市議でもある山田悦子さん。通称「悦ちゃん」で地元に絶大な人気を誇る方である。病気が癒えてやっと来て頂くことが出来ましたが、この前は前々会長時代の頃なので、4年以上前のことになります。あの時は、市政のお話でしたが、今日は茅ヶ崎が誇る日本三大遺跡の一つ「下寺尾遺跡」のお話を伺った。
 この遺跡は北陵高校の改築に伴う工事の過程で発見されたもので、市議自身も殆ど知らない事だったが、昨年の四月に遺跡んも保存の重要性に気が付き、これは自分がやらねばならない仕事と判断して活動を始めたが、公共工事でもあり、行政の対応は既存路線を推し進めることに向いており、思わしくなかったが、意思を同じくする沢山の市民団体の賛意を得ることで、保存の方向へ動き出したということである。北陵高校は現在仮校舎で授業が行われており、遺跡の上に新校舎が建てられる計画だった。市や県そして国(文化庁)が事の重要性に気付き、やっと知事発言の中に、北陵高校の建て替えではなく「移転」という言葉が出て来るようになったとのことであるが、それはそれで高校は何処へ行くのかと云う問題も出てきたが、人口減による合併も視野に入れた対応が現在図られているとのことである。

 今後のイメージとしては国指定の文化遺産という認定を受け、遺跡公園や複合施設等々を計画し、茅ヶ崎の新しい観光資源としての活用を目指すという事だそうです。


 茅ヶ崎の市民でも湘南の人間でもない筆者がこの遺跡の名前を知らなくても恥じることはないかも知れないが、我々のルーツを確認できる具体的な事実といつも向かい合う事が出来る意義は極めて大きく、この遺跡の保全と後世への受け渡しをきちっとやって頂きたいものだと感じた次第です。何時も藤沢バイパスから寒川町に向う街道筋を観て感じる何かはやはりこういうことだったのかと改めて思った今朝でした。山田市議の健康とご活躍をお祈りします。

2014年2月20日木曜日

希望を力に  宮内 秀樹 氏 (一社)倫理研究所 首都圏方面担当特別研究員


 会社が経営危機に陥った時、母親が入会した家庭倫理の会が縁で倫理の勉強に入られた宮内さん、それは高校生で18歳の時。以来、34年間倫理と共に歩んでこられたが、倫理研究所への入所は48歳の時。28歳で起業し、ガス工事関係他の事業を順調に運営され、厚木地区の家庭倫理の会の重職に付かれていたが、何か物足らないモノを感じ、其の愚痴をある研究員に酒の席でぶつけたところ、そう思っているなら、それは「今ではないか」と云われ、それがきっかけで研究所のスタッフとして倫理活動を普及する立場になられたと、冒頭にお話になった。実業の世界を経験し、倫理研究所に入られるのはあまり多くは無く、殆どが事業経験のない若い年代が入所され、教育・訓練を受けて、研究員になられるケースの中で、稀な存在でもある。柔らかい表情と語り口は、そんなキャリアからも推察できるが、会員から信頼を受けられる所以でもあろう。今日は、講話の終了後、3名の方が「倫理指導」を受けられることになっている。
テーマは「希望を力に」ということで、幾つかの実体験を話されたが、元大関琴風(現在の尾車親方)の話しがあった。6年前44歳の時、地域に「元気」を呼び込もうと企画したイベントに、アントニオ猪木を呼ぼうとしたが、予算で合わず、代わりに呼べたのが尾車親方。
「なぜ日本人横綱が誕生しないのか」という質問に対し、昔と今と全く違う風景は、入門課程から母親が一緒に付いてやってきて、入門審査の場にも同席させろと言って来る。子供の可能性を親自らが摘み取ってしまうような所作が沢山見られるとのこと。子供にとって何が大切か判っていないし、親がかりが当たり前だと子供自身が思っている。一旗揚げようと、身体だけ、自分だけがそのことを出来る唯一の存在だと思ってやってくる昔、北海道や東北、そして九州の山奥から出てきた新弟子入門者が今、外国人にとって代わられているからだとの分析だったとのこと。一旗揚げようという「希望」が横綱への力だったというお話だったと。
 
 1.自分自身の尊さを自覚すること
 1.正しい苦難感を持つこと

 これは自論だが、家庭教育そのものの在り方である。「与えられることが当たり前」になった世の中であり、その中で育った母親が「なかったら自分で取に行け」とは教えられない。これが日本の現状だろう。終戦直後にはそれがあった。親の生活や子供の養育の姿の中に自然と受け継がれて行ったものが、今は希少になってしまった。
 
 妹さんを進行性の速い癌で亡くされたという話をされた。「お兄ちゃんの子供を見たい」という一念で余命三か月が、7か月持ちこたえ、甥の誕生日と併せるように8月10日に40歳で亡くなられたというくだりは、在りし日の我が両親の気持ちを想起させた。筆者も6歳下の妹が居たが、高校生で突然発症し、30歳前で旅立った。その間、自分が何をしてやれたかと思うと、誠に恥ずかしい限りである。今は二度とこういう不幸を起こさないように気を付けたいと改めて胸に誓った講話でもありました。
 
 「感恩」「感謝」「生成の恩」「愛育の恩」という言葉を最後に残されましたが、本を忘れず、後悔しないように生きようと改めて思った次第です。感謝

 冒頭で、当会の事務長長島幹夫(よしお)さんの会員スピーチが行われました。湘南の有名な倫理ファミリーの一員として、会の運営に全力投球して頂いております。ありがとうございます。

 下の写真は会場のホテルサンライフガーデンのロビーに飾られたお雛様と、茅ヶ崎の名物の一つ大森ご夫妻そして盟友の和田さんです。
大森相談役ご夫妻

和田さん(左端)と大森夫妻



2014年2月12日水曜日

わが社の発想転換   平塚市倫理法人会副会長 井出 隆夫氏


 今朝の当会の講師はお隣の平塚市倫理法人会の副会長井出隆夫さんである。茅ヶ崎は元々湘南倫理法人会が母体になり、そこから平塚と藤沢が派生して行ったという歴史を体験された入会歴25年のベテラン会員である。従って、今日のMSにもその時代の会員の面々がおられて、話す方としては、リラックスして話すことが出来ましたと云われておりましたが、それだけにもっと沢山の若い経営者やNO.2の皆さんに聴いていただきたかったと残念に思いました。

 冒頭で、業界の話し、世の中のマクロ潮流をお話になり、それが自分の夢である300年続く企業を実現するための目の置きどころであるとお話になりました。人口構造が年々、ピラミッド型が逆ピラミッド型になり、2030年以降は80歳が最多を占める状況に変わり、売り上げのボリュームが業界として年々落ちて来るのが目に見えている。その中で、現在55店=10億の直営を維持するこだけでなく、それを拡充・拡大していき、しっかりした経営基盤のもとで、300年企業を作っていく為に、様々な変革を行ってきたが、これからも変革無きところに成長なしの心構えで臨んでいると語られました。

 幾つかの発想の転換の具体例を述べられたが、そこには社会事情というモノを的確につかんだ施策であるが故に、消費者(お客様)に支持されて、店が成功して行くという正に時代対応業と云う商売のエッセンスがそこにある。
 例えば、深夜2時まで営業する美容院を開いたところ、子育て世代のママさんに支持されて繁盛している例。スタッフも案ずるより何とかで、自分の店を閉めてから勤めに来る職人さんたちが
結構いて、十分に対応できることが判ったと云う例。
 価格的にもワンプライスでなく1時間を4つに分けて15分1000円に考えてサービスの4分割による価格制(これを井出氏は時間生産性と呼んでいる)を設けているそうだ。これがQBハウスを筆頭にして、巷で評価されている1000円理容室のコンセプトに通じると云われた。
 恒例化で車が運転できなくなるなじみ客に送迎・予約制制度を投入したところ、来店率が飛躍的に上がり、売り上げの増加につながった例、
 年齢の変化と共にお客の懐具合が変わるし、NEEDSが変わることへの対応は「お客さまからもっと喜ばれるにはどうしたら良いのだろうか」というサービス業の原点に立ち返ることだとも。
お店にとって、「揺りかごから墓場まで=生涯顧客」は究極のテーマであり、地域を背景に営みを展開する理容・美容店にも必要なスタンスであると。

 昔は輝いていたが、今は見る影もない方々を多く見かけるが、それは時代に合わせて「変革」が出来なかった人であり、そこには往年の輝きは見られない。


 技術よりも先ず会社の考え方を理解してもらう事が第一ですと、自社の社是「お客様に美と若々しさと、健康と、元気をお届けする」というモノの考え方をスタッフに浸透させるとのこと。
これはお客様との接点に居る社員の人間としてのクオリティーが持てる技術と一緒になったとき、それは「感動」というお客さまからの反応が得られるとの考えからであろう。

 先週も横浜市中央で秋山利輝氏の徒弟制度で人を育てる考え方の実践をお聴きしたが、井出氏のお話にもそのセンスが色濃く出ていますね。理容は日本の伝統的な職人芸のひとつであり、文化でもある。後世にその遺産を残すために学校を作られ、後進の育成に励んでおられる一方で、業界の在り方についても尽力されている。郵便ポストの倍の数の床屋があるそうだが、これはもう零細企業の極地のようなもので、息子や娘に継がせようというような床屋は皆無になりつつあるが、それでも理容師になりたい美容師になりたいという子供たちは多いそうである。言い方を変えれば、まだかっこいいから理容しか美容師ぐらいには成れるだろうということかもしれないが。しかし、専門学校へ入って資格を取るには2年間で300万円程の費用が掛かるそうである。それを支出できる家庭はそんなに多くはないとのこと。従って、井出さんの學校は傘下の店で働きながら学校へ通えるという制度で学生を受け入れておられるとの事。ここにも時代対応というかビジネスライクなのか、したたかのビジネスセンスが見え隠れしていて、理想論だけの人ではないという信頼性が感じられますね。

紹介を笑顔で聴く井出社長
  冒頭に申しましたが、余りにも自会の会員さんの出席が少なすぎます。こういう話は、前を向いて生きなければならない若い経営者やリーダーにこそ聞いていただきたい話であります。そういう残念さを感じた今朝のMSでもありました。

2014年2月5日水曜日

地域一番店づくりに必要なもの   逗子葉山倫理法人会会長 渡辺 順寛 氏


昨年12月1日にオープンした茅ヶ崎市南口駅前の新店「IL NONNO


 今日の講師は逗子葉山倫理法人会の現会長で、ヨコハマクラッセ株式会社社長の渡辺順寛(ノブヒロ)氏である。大学時代のアルバイトが縁で、飲食店業界に就職し、弱小企業を20年後に東証一部上場企業にまで育てたやり手経営者である。50歳を機に、自分の生き方を考えるために退社、ヨコハマクラッセ株式会社と云うイタリアンのお店を現在三店舗展開中である。

 鳥取の倉吉市生まれということで、高校生で父親を亡くし、上京し田舎に残した実母の存在が心の中に大きく占めるのは当然のことであろう。先頭に立ってジャスダック上場、東証二部、東証一部と、目標に向かってM&Aを繰り返し、企業発展にまい進してきたが、その裏では営業から経営に立ち位置を見事転換し、企業経営のノウハウを身に着けて行かれた様を、数々のエピソードと共に披露された。ワンカルチャーでない企業を統率することは圧倒的なリーダーシップ・統率力が必要とされるが、そこに戦国時代の武将の姿を観ました。
 
 今の想いは「自分の会社は何の役に立っているのだろうか」というテーマの追求の様だ。長い戦いの場を生き抜き、ある境地に達したとき、必然的に倫理という考え方が入って来たようだ。っ今朝は修羅場を経験した人でないと滲み出てこない「凄み」を感じた40分間でした。

 Ethical Business(倫理的ビジネス)という言葉が日本人固有のビジネススタイルを表現するのにあるそうである。ちなみにIL NONNO は「おじいちゃん」の意味だそうです。